津波の原因を「海底地すべり」だと説きつづけてきた科学者たちの歩み(3)

「海底地すべり説」と「科学革命」

東日本大震災という未曾有の災害は、従来の定説「プレート跳ね上がり説」では説明できない規模の津波を引き起こし、過去の科学的常識に対する明らかな反証(反例)となりました。また、過去の津波災害の検証や、最新の技術に基づいた観測データは、少なくとも現時点で「海底地すべり説」の確からしさを引き上げています。

明確な反証・反例の存在と、その問題を一括して克服できるかに見える新規の仮説を提唱する学派の誕生、それに対する既存の学会・学術領域からの冷ややかな反応。そして、ここへ来てなぜか当たり前のように報道されはじめた「海底地すべり説」。3. 11以後の13年間で観察されたこのような過程は、それを傍で見ていた私にひとつの思いを抱かせました。

現在、私たちは、これまで支配的であった定説が自然現象に適用できなくなり、新たな仮説によって世界の見方が転換される、一種のパラダイム・シフト、つまりトマス・S・クーンのいう「科学革命」の現場に居合わせているのではないでしょうか。「革命」というとおどろおどろしいようですが、これは本来、科学哲学の観点からも重要な概念とされています。ただ、改めて思い返してみても、私が学校で叩き込まれてきた自然科学観に、「科学革命」という考え方はほとんど含まれていませんでした。

義務教育を通じて学校に在籍してきた私たちからすれば、「科学」とは、「確立された正しい理論に立脚し、それに基づいた研究成果が積み重ねられて(累積されて)発展していく、一貫した知的体系である」と感じる類いのものです。教育制度を通して教え込まれるのは、「正統な理論」や「正しい答え」なのですから、この課程をきちんと通過した以上、私たちが「科学」というものをそうやって受け入れることに、何の不思議もありません。

しかし、トマス・S・クーンによれば、科学とはただ「累積」によって進展していくだけのものではないといいます。むしろ、私たちが教育機関で教わってきた「科学」の姿は、矛盾する問題が発生していない状況下で行われている「通常科学」のことでしかないようです。

このあたりは、最近になって日本語訳の新版が発行されたトマス・S・クーンの著書『科学革命の構造』(青木薫訳、みすず書房、2023年)をお読みいただいたほうが早いはずなのですが、少しだけご説明を交えつつ、私の思いを書き記したいと思います。

科学における「通常科学」

常識や定説として広く受け入れられている理論があり、その根本を揺るがすような事態が起きていないかぎり、科学は安定した基盤に立脚して、そこに新たな研究成果を付け加えながら発展しています。そこで科学者たちが共有している規範的な思考、「正統な」ものの考え方、「正しい」理解の枠組みを「パラダイム」と呼ぶことができるでしょう。

クーンは「パラダイム」について、以下のように述べています。

私の考えるパラダイムとは、広く認められた科学的成果であって、現場の研究者コミュニティーに対し、一定期間、模範とすべき問題および答えを与えるものだ。

トマス・S・クーン著,青木薫訳『科学革命の構造 新版』p.8,みすず書房,2023年

パラダイムを共有する研究者の中では、大切にされるルールや基準は共通しており、それに基づいて行われる研究は効率的で、研究に用いられる観測機器の発達も順調に成し遂げられていきます。そのこと自体は決して悪いことではなく、科学の発展に欠かせないプロセスのひとつだといってよいのでしょう。

こうして展開されていくのが、「通常科学」と呼ばれる営みです。あるテーマに対する「正統な」問いと、その答えに至るための「正統な」テクニックは洗練され、プロの科学者を目指す学生たちは、教育制度を通してその伝統的な作法を身に染みこませていきます。私たちが教育の場で習う「科学」の姿とは、この「通常科学」のあり方そのものだと考えてよいはずです。

矛盾する現象(アノマリー)の発生と「通常科学」の危機

しかし、「通常科学」の成熟が生み出す、観測機械や技術の発達は、ときにその「通常の」営みに対して、大きな矛盾を投げかけます。かつて、優れた望遠鏡による観測結果が、天動説という不動と思われた理論と相反してしまった歴史的事実を思い起こしていただけるとよいかもしれません。支配的な理論と矛盾する現象(=アノマリー)の観測は、当然ながら、それまでの定説に対する疑いを生み、新たな理論への転換が促されます。

クーンは、伝統を断ち切り、正統な答えの基準を転換させ、科学的想像力を変容させるこのプロセスを「科学革命」と呼び、以下のように述べました。

通常科学の研究のために設計され、作り上げられた観測機器が、思ったように機能せず、何度やっても専門家の予想に合う結果が得られないというアノマリーがあらわになることもある。……そしてそうなったとき――すなわち、その専門分野でそのとき行われている実践の伝統を打倒するようなアノマリーを避けられなくなったとき――通常科学の枠に収まらない研究が始まり、最終的には、その分野の研究者たちを、新しい一組のコミットメントへと、つまりは科学を実践するための新たな基礎に導く。専門家のコミットメントがシフトするそのエピソード、すなわち通常科学の枠に収まらないエピソードが、この小論で言うところの科学革命である。

トマス・S・クーン著,青木薫訳『科学革命の構造 新版』p.23,みすず書房,2023年

「科学」というものの性質を考慮すれば、本来、決定的なアノマリー(その理論に対する「反証」「反例」)が出てきたのなら、それまでの理論は否定され、速やかに新たなパラダイムへの移行が試みなければなりません。戎崎博士は、ブログ「戎崎の科学は一つ」および著書『科学はひとつ』の中で、以下のように述べています。

カール・ポパーはこのことに目をつけて、「反証」という手続きを受け入れるかどうかが、「科学」と「非科学」を分かつ境界線であると考えた。ポパーによれば科学の歴史は「仮説の提起とその反証」という試行錯誤のプロセスであり、競合する諸理論は、反証による自然淘汰のふるいにかけられ、やがては無限遠点にある「真理」に漸近してゆく(以上、野家啓一著『科学の解釈学』p.166から抜粋)。

ここに示されるポパーの考え方は、科学者たちの実感にあっている。科学哲学者がいかに美しい理論を展開しようと、このポパーの手法だけが唯一、確実な前進を約束していることは科学者は皆知っている。

戎崎俊一『科学はひとつ』p.209,学而図書,2023年

「通常科学」の抵抗とパラダイムのあいまい化

ところが、「通常科学」という営み自体は、いきなりそのような急転換を行えません。黙殺であれ否定であれ、まずは新たな理論の発展を抑える方向へと動くのが世の常です。この点について、クーンは以下のように記しています。

たとえば、通常科学はしばしば根本的に新奇なものを抑圧する。なぜなら、そういう新奇さは、必然的に、通常科学の基本的なコミットメント[大切なこととして受け入れられているもの]を打倒するような性格を持つからだ。

トマス・S・クーン著,青木薫訳『科学革命の構造 新版』p.22,みすず書房,2023年

つまり、アノマリーは科学哲学で言うところの反例にあたるにもかかわらず、科学者たちはアノマリーを反例として扱わないのだ。

トマス・S・クーン著,青木薫訳『科学革命の構造 新版』p.126,みすず書房,2023年

では、理論と自然の一致にアノマリーがあると気づいた科学者たちは、その気づきにどう応答するだろうか? 今述べたことが指し示すのは、たとえその不一致が、その理論を他の場合に当てはめたときに経験したことと比べて説明がつかないほど大きかったとしても、それほど深刻な応答は必ずしも起こらないということだ。多少の不一致は常にあるものだ。しぶとく解消を拒む不一致でさえ、最終的には、通常科学の実践に屈するのが普通である。

トマス・S・クーン著,青木薫訳『科学革命の構造 新版』pp.131-132,みすず書房,2023年

こうして、通常科学は新奇なものを抑圧する方向へと動きます。しかし、アノマリーが本当に深刻なものであり、通常科学が危機を迎える場合、そこに新しい状況が生じざるを得ません。理論の穴を塞ぐためにさまざまなルールが付け加えられ、その結果、従来のパラダイムがあいまいになり、何が「正統」なのかが不明瞭になってくるのです。

しぶとく解決を拒む問題への攻略は、はじめのうちはかなりの程度まで、パラダイムのルールに従って行われるだろう。それでもまだ問題が解決されなければ、パラダイムの明確化に、小さな、あるいはそれほど小さくない変更を加えた攻略法が増えていく。……こうして、多様な明確化が増殖すると、……通常科学のルールがますますあいまいになる。……すでに解決された問題への答えとして、かつては標準的だったものに対してさえ、疑問が投げかけられる。……コペルニクスは、当時の天文学者たちが「矛盾だらけの(天文学)研究を行い、一年の長さを説明したり観測したりすることさえできなくなっています」と不満を鳴らした。そして彼はこう続けた。「それはあたかも画家が、自分の描く人物像の手足や顔、その他身体の各部分を個々別々のモデルから持ってきたかのように、各部分はみごとに描かれているものの、一個の身体を作り上げるようにはなっておらず、均整が取れていないために、人間というよりは怪物を作り上げてしまうのと似ています」。

トマス・S・クーン著,青木薫訳『科学革命の構造 新版』pp.135-136,みすず書房,2023年

津波発生メカニズムのパラダイム・シフト

令和6年能登半島地震の発生以来、「海底地すべり説」に基づく津波の発生原理がメディアによって報じられ、一方で従来の「プレート跳ね上がり説」との境界は曖昧模糊として語られません。津波発生メカニズムの理論的な枠組みが明瞭さを失い、つぎはぎの様相を呈してきたいま、私は、これがパラダイム転換の瀬戸際というものかもしれないと感じることがあります。

だからこそ、これまで私が目撃してきた科学者たちの苦闘を、せめて自分なりの視野から記録しておかねばならないと考え、この3回連続のブログとして残すことにしました。私自身は半ば社会からドロップアウトした身ですが、現在もなお研究に没頭し、この世界への理解を深め続けている先生方に敬意を表します。

笠原 正大

笠原 正大

学而図書 代表

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