国際津波防災学会『TEN vol.3』掲載論稿のご紹介(5)

 戎崎俊一 著
「日本への水田稲作の伝搬:環東シナ海文化圏仮説の提案」

本記事では、3月25日発売の国際津波防災学会『TEN(Tsunami, Earth and Networking)vol.3』に掲載された、戎崎俊一先生(理化学研究所)による論稿「日本への水田稲作の伝搬:環東シナ海文化圏仮説の提案」をご紹介いたします。

水田稲作はどこからきたか

 日本列島に暮らす者の生活を支え続けてきた、水田稲作。中国の長江流域で開始されたと考えられる水田稲作は、やがて日本列島に伝搬(伝播)し、そこで暮らす人々の生活と文化に深く根ざすようになりました。
 それだけに、水田稲作の伝搬経路の研究は、日本人の起源を知るためにも重要な論題として、広く人々の関心を呼び起こしてきたテーマです。『TEN vol.3』掲載の「日本への水田稲作の伝搬:環東シナ海文化圏仮説の提案」は、最新の気候変動論の観点から、この水田稲作の伝搬経路に関する新たな仮説を提示した論稿となっています。

古気候の最新研究により見直しを迫られる「定説」

 従来、日本において定説として論じられてきた稲作の伝搬経路は、「長江流域で始まった水田稲作が北上して山東半島まで到達し、その後遼東半島、韓半島を経由して日本に到達したという仮説」(『TEN vol.3』p.102)でした。
 しかし、最新技術を使った年代測定と、高精度の古気候の復元によって、この仮説にも見直しが必要となっています。
 本稿では、

1.最新の炭素年代測定により、これまで紀元前5世紀頃と考えられていた稲作の伝搬時期が、紀元前10世紀頃へと、500年ほど早まったこと

2.グリーンランド氷床の酸素同位体比測定による気候復元の結果、紀元前4200~4000年頃に地球上で急激な寒冷化(4.2 kyrイベント)が発生したことが記録されており、この寒冷化と乾燥化によって山東半島での水田稲作が困難になっていたこと

3.紀元前10世紀頃の韓半島南部に、水田稲作の直接的な証拠がないこと

という3点を精緻に検討しながら、水田稲作が「長江下流域から直接九州へそして韓半島南部に伝搬した」(『TEN vol.3』p.106)可能性を検証していきます。

「環東シナ海文化圏」という新たな可能性

 そして、支石墓と石包丁の分布、古人骨の人類学的特徴の三点から著者が導き出すのが、地球気候の変動と密に関連し、当時の東アジアに形成されていた「環東シナ海文化圏」の存在と、それに基づく水田稲作の伝搬経路の新たな仮説です。

 新たな技術が生み出す最新の知見に基づいた水田稲作の伝搬経路の分析は、従来の定説の想定を超え、私たちの常識を大きく組み替える可能性を有しています。ぜひ皆様にも『TEN vol.3』をお手にとっていただき、この新たな仮説を直接お確かめいただきたいと願うところです。

関連記事