リヒャルト・デーメル「海の鐘」

つい最近のことですが、不意に、そして思えば二十数年ぶりに、ある詩の一節が私の頭をよぎりました。リヒァルト(リヒャルト)・デーメルの「海の鐘」です。

私が通っていた大学は都市部からだいぶ離れた不便な土地にありまして、カバンの中に白鳳社の『名訳詩集』をしのばせ、電車に揺られる道すがらパラパラとページをめくるのが学生時代の日課でした。

「今どき詩集をポケットに突っ込んで移動してる奴などおらんよ」と周囲に笑われたものですが、かといって誰かの詩に熱中したり生涯を調べたりするわけでもなく、ただ、本当に何となく詩を読むのが好きだったのです。ですから、毎日何かしら読んでいたくせに、私は詩人や文学者のことをほとんど何も知りません。自分でもどうかと思います。

『名訳詩集』に収録された「海の鐘」は、森鷗外の訳出による、次のようなものでした。


れふかしこせがれ二人ふたり持ってゐた。
それに詩を歌つて聞かせた。
「海にたゞよつてゐる不思議ふしぎかねがある。
その鐘のを聞くのが
なほな心にはひどくうれしい。」

一人ひとりの倅が今一人の倅につた、
「おつさんはそろそろ子供に帰る。
あんな馬鹿な歌をいつまでも歌つてゐるのは何事だ。
おれは舟で随分度々暴風あらしおとを聞いた。
だがつひぞ不思議な鐘は聞かぬ。」

今一人が云つた。「己達おれたちはまだ若い。
つさんの歌は深い記念から出てゐる。
大きい海を底まで知るには
沢山たくさん航海をしなくてはならぬと思ふ。
そしたらその鐘の音が聞えるかも知れぬ。」

そのうち親父おやぢが死んだので、
二人は明るい褐色かちいろの髪をして海へぎ出した。
さて白髪はくはつになつた二人が
る晩港で落ち合つて、
不思議な鐘の事を思ひ出した。

一人はい込んで、げんにかう云つた。
おれは海も海の力も知つてゐる。
己はからだを台なしにするまで海で働いた。
随分まうけたことはあるが、
鐘の鳴るのは聞かなんだ。」

今一人はかう云つて、若やかに微笑ほゝゑんだ。
「己は記念のほかには儲けなんだ。
海に漂つてゐる不思議な鐘がある。
その鐘の音を聞くのが
素直な心にはひどく嬉しい。」

Die Glocke im Meer 
底本:西脇順三郎ほか編『名訳詩集』白鳳社,[1967] 1998年.


今、この詩がいきなり思い浮かんできた意味を考えると、恐ろしいような思いがします。

これまで私は数えきれないほどの失敗を積み重ねながら、経験則として、いくつかのことを肝に銘じてきました。

私は、薄暗がりを手探りで進むように、あらゆるものに接しなければなりません。
月影を頼りに野辺の細道を歩むように、静かな畏れをもって物事を理解せねばなりません。
それを忘れて大上段から切るように何かを断じたとき、私は多くのものを取りこぼします。

そういう自分への戒めを、ともすれば忘れていたのでしょうか。
……良くも悪くも事業は儲かっていないわけですが、それが原因ではないですよね。

笠原 正大

学而図書 代表

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